昭和のSL【九州編】 筑豊本線 8620・9600・C57・D51・D60

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  • Опубликовано: 20 авг 2024
  • 昭和40年代、全国で活躍していた現役蒸気機関車。
    貴重な8mフィルム映像をデジタル処理、音声は同時録音のステレオで、
    全国地域別・線区別に再編集いたしました。
    筑豊本線 ① 折尾駅⇒中間駅 D5142牽引 下り貨物列車
    筑豊本線は、福岡県北九州市の若松駅から、福岡県筑紫野市の原田駅に至る66.1kmの路線です。
    現在では、鹿児島本線と篠栗線を含め、黒崎駅~折尾駅~桂川駅~博多駅間を福北ゆたか線、若松駅~折尾駅間は若松線、桂川駅~原田駅間は原田線と愛称が付けられいます。
    旅客輸送は、沿線の直方、飯塚などから、北九州市や福岡市などに通勤、通学輸送が主でした。
    また沿線には、数多くの炭鉱や支線があり、採掘された石炭輸送が盛んでした。
    ここでは大変珍しい非電化路線の4線区間、折尾駅~中間駅間を走る、ナメクジ型ドームのD5142号機が牽く、筑豊線下り貨物列車です。
    筑豊本線 ② 折尾駅⇒中間駅 D6034牽引 下り旅客列車
    筑豊本線、折尾駅と中間駅間は、線路が4線ならんで敷設され、見た目では複々線になっています。
    動画の左側2線が筑豊本線の上下線で、右側2線は黒崎駅と中間駅間の短絡線の上下線です。
    右側2線は、門司、小倉、黒崎方面から筑豊本線の中間、直方、飯塚方面に向か短絡線で、筑豊で採掘された石炭や貨物を積載した列車が、SLに牽引され往来していました。
    筑豊本線 ③ 折尾駅⇒中間駅 49654牽引 下り貨物列車
    筑豊本線の無煙化は意外と遅く、昭和49年までSLが活躍していましした。特に筑豊線にはD50、D51、D60、8620、9600、C11、C55、C57など、多くのSLが在籍していました。
    特に折尾駅~中間駅間の4線区間は、SLが牽く旅客列車や貨物列車に、石炭専用列車など、次から次にやってきます。
    筑豊本線 ④ 折尾駅⇒中間駅 逆38629牽引 下り香月行 客125旅客列車
    筑豊本線の沿線には、沢山の支線がありました。
    折尾駅からの4線区間が終わる中間駅からは、北九州市八幡西区の香月駅まで、香月線がありました。
    香月線は、石炭輸送のための貨物線として明治41年に開業、一時期は石炭輸送が増加、中間~新手間が3線化(旅客列車用の単線+貨物列車用の複線)されました。
    その後、周辺炭鉱の閉鎖で、昭和49年に貨物営業とSL運転が廃止になり、昭和60年には全線が廃止になりました。
    この動画の撮影時には、若松駅と折尾駅から、朝の通勤時間帯に、8620が牽引する旅客列車が、香月線の香月まで乗り入れていました。
    筑豊本線 ⑤ 中間駅⇒折尾駅 38629牽引 上り若松行 客124旅客列車
    筑豊本線は、他の支線からの乗り入れも多くありましたが、中間駅から先の香月線からも、旅客列車の乗り入れがありました。
    香月線の終点、香月駅には転車台がないので、若松・折尾から香月に向かう8620は、逆向きで運転。
    折り返し折尾駅行き普通列車は、8620が前向きでやってきます。
    この撮影ポイントも、中間~折尾間の4線区間ですが、この先、右側線路が短絡線の上り線で、筑豊本線下り線のアンダーパスをしますので、折尾・若松方面の上り線が一時的に単線の雰囲気になっています。
    筑豊本線 ⑥ 中間駅⇒折尾駅 D60+D51重連 上り門司方面行 貨物列車
    筑豊本線、折尾駅~中間駅間は、線路が4線ならんで敷設され、見た目では複々線になっています。
    折尾駅側は、筑豊本線の上下2線と、黒崎駅からの短絡線の上下2線が、並んで敷設されていますが、中間駅側で中央寄りの線路が、オーバークロスして中間駅で、筑豊本線と短絡線が合流します。
    ここでは、中間駅を出発したD60+D51重連牽引、短絡線上り貨物列車が、画面右側で、若松方面からの筑豊本線下り線をアンダーパス、方面別の短絡線を走り、黒崎方面に向かいます。
    筑豊本線 ⑦ 筑前内野駅 C5752牽引 下り旅客列車
    筑前内野駅は、福岡県飯塚市南部に位置し、筑豊本線の難所、冷水峠に近く標高の高い立地です。
    撮影当時は、相対式ホーム2面2線で列車交換も可能で、当駅始発の列車も運行されていました。
    現在は単式ホーム1面1線になっています。
    筑豊本線の旅客列車と言えば、スポーク動輪で人気のあった、C55が知られていましたが、ここではボックス動輪のC57が牽引する、下り原田行き旅客列車です。
    筑豊本線 ⑧ 筑前内野駅⇒筑前山家駅 D6046牽引 下り貨物列車
    筑豊本線に活躍するD60は、昭和43年時点、直方機関区に10両在籍。
    その後、2年間に郡山区、大分区から9両が配置転換されました。
    D60は、主に石炭貨物輸送が主で、それ以外に客車列車の牽引もあり、急行「天草」後補機運用にも活躍しました。
    この日は貨物の量も少なく、D6046が牽く下り貨物列車は、この先の冷水峠に向け、勢いをつけ突進して行きます。
    筑豊本線 ⑨ 筑前内野駅⇒冷水峠 D51牽引 下り旅客列車
    昭和25年から昭和60年にかけて、本州~九州間を直通する特急「かもめ」「明星」「あかつき」ゃ、急行列車「阿蘇」「天草」などの優等列車は、折尾~原田間の筑豊本線を経由して運転されていました。
    しかし、当時の筑豊本線は全線非電化で、単線区間が存在するため、鹿児島本線経由より、距離が短いのに所要時間が長く、筑豊本線の乗客減少もあり、筑豊本線経由の優等列車は、国鉄民営化前に廃止されました。
    筑前内野駅を発車した、D51牽引下り原田行き旅客列車は、真っ黒な煙を吐き、冷水峠を登ってきます。
    筑豊本線 ⑩  筑前内野駅⇒冷水峠 D60+D60重連 下り貨物列車
    筑豊本線の筑前内野駅~筑前山家駅間10.2Kmには冷水峠があり、峠には延長3,286mの冷水トンネルがあります。
    またこの区間には、R200-300の急カーブや、最大25‰の急勾配が連続、SL牽引時代には補機付運用もありました。
    この筑豊本線に並行する国道200号線も、この先の冷水峠では、急カーブと急勾配の連続で、峠を越えるのには大変でした。
    現在ではバイパスの冷水道路が出来、峠をトンネルで越えれるようになりました。
    この国道200号線は、直方、飯塚方面から、久留米、鳥栖方面に短距離で行き来でき、50年前の撮影当時も多くの車が走っていました。
    午後の下り貨物列車は重連での運用で、この日もD60が重連で峠を目指してきました。
    この撮影地は、筑前内野駅から約2Kmで、冷水峠の有名な撮影地ポイントになっています。
    筑豊本線 ⑪ 筑前山家駅⇒冷水峠 D6058牽引 上り旅客列車
    今度は冷水峠の筑前山家側で、筑前山家駅から徒歩で約4Kmの距離でした。
    すっかり陽も上がり、撮影には絶好の天候になりました。
    次の上り若松方面行きの列車は、D6058の牽引です。
    D60特有の野太いブラスト音を響かせ、25‰の勾配を登ってきます。
    画面左側の先には、延長3,286mの冷水トンネルです。
    筑豊本線 ⑫ 筑前山家⇒冷水峠 D511155~逆向きD6032後部補機付き 上り旅客列車
    今度の撮影地ポイントも、筑前山家駅から徒歩で約4Km、先ほどの撮影地に近い場所です。
    こちらも冷水峠の有名な撮影地ポイントで、R200-300の急カーブや25‰の急勾配が続きます。
    山肌に薄っすらと陽があたり始めた早朝。新聞配達員さんのバイク音が響き渡る中、D511155が牽く上り若松方面の旅客列車がやってきます。
    後部には下り補機仕様のD60が、回送で逆向きに連結され峠を登ってきました。
    R200-300の急カーブが続くので、車輪とレールの間で、甲高いきしみ音が聞かれます。
    まだ気温が低いのか、真っ白な煙と蒸気を残し、汽笛とともに冷水峠に吸い込まれて行きました。
    オリジナルフィルムの保存が状態が悪く、画像に傷や埃でお見苦しい箇所があります。
    ご了承ください。

Комментарии • 14

  • @user-kz6ho6oh5c
    @user-kz6ho6oh5c Месяц назад

    いやはやなんとも、言葉が出ませんよ。筑豊は過去1回だけ乗車しました。直方、飯塚の駅ホ~ムは側線に客車が留置されて居た記憶が有ります。ボタ山も然りです。懐かしいなんて物じゃありません。

  • @user-xy3ye6kl6p
    @user-xy3ye6kl6p 2 года назад +4

    懐かしいナンバーのカマばかりで感動しました。
    特に中間~折尾の4線区間は早々に2線になりその遺構だけが残ってます。
    その遺構がいつまで残るかはわかりませんが、残り続けてここに鉄道が走っていたという記録として残る事を願うばかりです。

  • @skt8212
    @skt8212 Год назад +3

    筑豊本線行きました。9600とD60を、香月線で8620を撮影しました。中間〜筑前垣生で次々とやってきました。ここではD51は外道なのかカメラを向けない人もいた

  • @user-wi5me3mk1c
    @user-wi5me3mk1c 5 месяцев назад

    冷水峠を汽笛を鳴らして
    走るなんて
    本当に素晴らしい!😂
    しかもプッシュプル方式 
    とてもエモい😊

  • @sunami808
    @sunami808 Год назад +3

    冷水峠も今や単行気動車が原田〜桂川で寂しく往復するのみ。昭和の時代からは想像もつかない凋落ぶり

  • @pupo2298
    @pupo2298 Год назад +1

    筑豊線はD60が大活躍だったのですね。重い貨物だけでなく旅客も牽引したのですね。

  • @mebeasensei
    @mebeasensei 2 года назад +3

    interesting. Thank you for uploading this. It is fascinating to se. In some ways it looks similar now, but nowadays just one diesel car carries passengers from Keissen to Harada. Back in 1968, it seems that many more passengers rode that train. In 1968, Chikuho still had some coal mines operating, although they were rapidly closing.

  • @ZAIZAIMON
    @ZAIZAIMON 3 года назад +1

    いつも楽しみに見ています。冷水峠には2回ほど行きましたが、動画の最後に出てくる710レ?をまさか動画で見ることができるとは思いませんでした。
    ありがとうございました。

    • @toshitan3271
      @toshitan3271  3 года назад

      いつもコメントありがとうございます。
      当時は関西在住でなかなか九州まで撮影に行く機会が無かったのですが、2日間で筑豊本線を撮影しました。
      最後の補機付きは、まだ陽が登る時間帯で撮影中に新聞配達のバイクが走り回っていました。

  • @green_line
    @green_line 5 месяцев назад

    原田駅からの折り返しの機関車はどこの転車台を使ってたのかなぁ~❓️

    • @user-xq4lv7de7d
      @user-xq4lv7de7d 5 месяцев назад +1

      私の記憶ですが、昭和45年頃 直方から久留米まで 筑豊本線経由で 原田乗り換え 当時の駅は1.2乗り場がありましたのでUターンの形で機関車が戻ってきていました。転車台は無いような記憶をしています。

    • @green_line
      @green_line 5 месяцев назад

      @@user-xq4lv7de7d ご返信ありがとうございます。原田駅には転車台はないんですね。鳥栖機関区には転車台が2つ有りましたですね。懐かしい写真ばかりで感激してます!冷水山峠にも何回か写真撮りに行きました。鞍手町の室木線、室木駅にも行きました。田川線は内田信号場~油須原間の9600重連+9600補機も数回撮りに行きました。筑豊本線のさよなら列車を最後に撮鉄をやめてもう数十年早いものです。

    • @user-yi3bc9qp4h
      @user-yi3bc9qp4h 4 месяца назад +1

      原田駅の転車台は0番線ホ一厶(頭端式、筑豊本線専用)の東側にありました。20m級上路式でした。0番線の東隣に3〜4本の側線があり最も東側の側線に給炭台と給水スポ一トがあり、その先にタ一ンテ一ブルがありました。各停客車レは原田駅が終点ですが貨物レは大規模なヤ一ドがあった鳥栖(操車場)までの運用でした。しかし若松区のC55、D50と直方区のD50、D60 (その後D51) は一部共通運用されていたので客レを牽引してきたD型SLもこのタ一ンテ一ブルに乗りました。私も高校生時代に転向、給水、給炭を終え、側線で待機する"筑豊本線のSL"
      を眺めていました。

  • @user-er4zm9kv4u
    @user-er4zm9kv4u Год назад

    最初から2番目はどぉ見ても旅客列車に見えるが。